自衛隊を学ぶ・・シビリアンコントロール
日時 : 平成15年5月8日(木)18:30〜20:30
スピーカ: 北山 信
1978-7-25、金丸信防衛庁長官が栗栖弘臣統幕議長を解任
・・契機となった栗栖発言・・
「現在の日本の法律では、敵の奇襲攻撃を受けた場合、現地の指揮官は反撃することが出来ない。交戦規定(ROE)がないといっても、私がその指揮官だったら、部下に『逃げろ』とは命じない。超法規的行動になるけれども、戦う」
・・金丸記者会見・・
「議長が一身上の都合で辞任したいと辞表を持ってきたので受理した」
・・栗栖記者会見・・
「フォード自動車の再建に力を尽くしたアイアコッカ社長が、会長からクビを宣言された。理由はと聞くと、『もう、お前の顔は見たくなくなった』との答えだったそうです。これで分かって欲しい」
1951-4-11、トルーマン大統領が在韓国連軍司令官マッカーサーを解任
・・マッカーサーの主張・・
中共軍の介入により38度線にて戦線膠着。「朝鮮統一」(国連決議)に向けて動かすには、@鴨緑江を渡河し、兵站基地となっている中国本土の攻撃 A原爆の使用 が必要。
・・トルーマンの意向・・
戦争は既に、米中戦争である。この後、原爆を所有するソ連の介入は何としても避けなければならない。「38度線にて現状固定後休戦」が最善の着地点。
英国にて、クロムウェルがチャールズT世を処刑(1649:ピュリタン革命)したことから、常備軍に対する警戒感が強まり、権利章典(1689:名誉革命)にて、「平時において、国会の承認なくして国内で常備軍を徴集してこれを維持することは法に反する」とされた。権利の章典自体は、国王の専横(徴税等)から、貴族、大土地所有者、大商人を守るものであったが、爾後の小農民・市民の成長(産業革命)、彼等の国会への進出に併せ、市民主体の条文として形を変えながら繰り返し述べられている。
米国では、独立戦争を勝利に導いた功績が極めて大きかったにも関わらず、戦後隠棲したワシントンの事例(なろうと思えば国王にもなれた)、ジェファーソンの理想主義的自由主義、を背景にしての大陸会議(1784)での論議「平時における常備軍は共和政体に矛盾し、国民の自由にとって危険であり、それは一般に独裁制を打ち立てるための破壊的な道具に変わる」をしながら、連邦憲法が制定された。連邦憲法では、国民により選挙で選ばれた最高の文民たる大統領が、合衆国陸海軍の最高司令官とされた。
仏・独は英・米と少し異なり、第二次世界大戦後に概念が確定した。仏は1789年の大革命以降、市民主体の公共武力等シビリアン・コントロールの芽は有るが、政治と軍の関係では、ナポレオンの例に見る如く大きな揺り戻しが何回もあった。ドゴール政権の誕生もアルジェリア死守を標榜する軍部主導によるものであり、ポストドゴールをもってシビリアン・コントロールとの時代と言える。
ドイツでは、1954年、基本法の改正(再軍備条項の挿入)時に、連邦国防大臣が軍隊に対する命令権・指揮権を有する、と規定し、シビリアン・コントロールを明確にした。
我が国の1997年の防衛白書では、「文民統制(シビリアン・コントロール)とは、民主主義国に於ける軍事に対する政治優先又は軍事力に対する民主義的な政治統制をいう」と述べられている。
「民主主義」がキーワードである。英・米に見る如く、シビリアン・コントロールは民主主義と表裏になって発展していったものであり、一般市民の視点・ニュアンスは不可欠である。「民主主義」は「市民主義」と置き換えられるべきかもしれない。共産主義国に於ける政党による軍の統制、背広を着た(軍服を着ぬ)王様の軍統制も政治主導であるが、シビリアン・コントロールとは言い難い。
ドイツではシビリアン・コントロールを、単に「政治主導」(political control)との意味に解されており、必ずしも「市民」の視点が有るとは言えない。日本でもドイツ流の解釈が横行しているキライがある。文民主導と市民主義は異なるものである。
シビリアン・コントロールを発達させた米国でも、ベトナム戦争は失敗であった。太平洋戦争も軍隊だけが推進者であったわけではない。国際関係が緊張し、国民の注意が「国益」に集中すれば、過激に走る文民も現れ、軍隊に対する過度の期待も生まれる。軍事力の行使を推進するにせよ、抑制するにせよ文民が軍事を良く理解していないと失敗は避けられない。国会が軍人や軍事専門研究機関の意見をよく聴取して、文民と軍人が真に協力出来るようにすることが大事である。制度があっても、安住すればその意義はたちどころに霧散する。
日本に於けるシビリアン・コントロールに影響のあったこととして、
@創設時の経緯
A米軍主導の再軍備
B憲法との関連・・「他の一般行政事務」の範疇で防衛が語られなければならないこと、及び内閣の連帯責任(対国会)、防衛に関する国政は国会の調査、交戦の国会承認を要すること、があり、栗栖事件もこれらの枠内にある。
「クリミアで開かれたこの会議は、このたびの大戦における連合国の勝利を可能にし、確実にした『目的と行動の協調を、きたるべき平和の時代にも維持し、強化する』という我々の共同の決意を認めた。これこそ我々の政府が、それぞれの国民と全世界に対して約束した神聖な義務であると信ずる。
ただ、わが三国と、あらゆる平和友好国との間におけるこの協力と諒解を追及し、かつこれを拡大してゆくことによってのみ、人々は人類最高の希望、すなわち大西洋憲章のことばによると、
『あらゆる国のあらゆる人間に対して彼らの生涯中、恐怖と窮乏からまぬかれて生活する可能性を保障する確かな永続的な平和が実現できるであろう』。
このたびの大戦の勝利と、人々の企図する「国際機構」の確立とは、きたるべき幾年かにわたって、右のような平和の基本となる諸条件をつくりだすために、全歴史を通じ最良の機会をあたえるであろう。」
・・ヨーロッパ戦線:レマーゲン鉄橋突破、ライン渡河
・・太平洋戦線 :レイテ沖海戦に続く米軍のフィリピン占領、硫黄島上陸
かってない連合国の結束の固さの象徴であったが、直後、
1945-4、ソ連との協調が重要だと考える理想主義者ローズベルトの死(後継トルーマン)
1945-5、ドイツ降伏
1945-7、ソ連は危険との信念を譲らぬチャーチルの退陣(後継アトリー労働党内閣)
残ったのは、スターリン・・1945年戦後処理の不幸が始まる。
ドイツ
全面武装解除、財閥解体、ユンカー解体、四地区分割
イタリア
王制復活せず、領土割譲(対ギリシャ、フランス、ユーゴ)、莫大な賠償金
フランス
小党分立による不安定政権、民族独立運動の激化
イギリス
対米巨額債務(英連邦の市場開放がセット)、米国撤兵後の欧州をフランス及びイタリアの強化で対応しようとして失敗(内向き政策強化・・政権交代)
・・大英帝国の解体
リアリスト チャーチルの読みは的を射てはいたが、当時のソ連の実力を過大評価している。GNPは米国(1947年度)の1/5、戦争前後の比=2/3、更に、数百万人の兵員が帰農しており、戦後の疲弊状況は西欧と変わらない。
1946-2、スターリン演説
「戦争はソビィエト国家と社会主義が断じて消滅しないことを示した。しかし、戦後の世界を見る時、ソ連は攻撃から絶対に安全と言うわけではない。今後十五年間にわたり、一定の目標をたてることが必要であり、石炭・鋼・鉄は三倍にし、石油生産は約二倍にしなくてはならない。これこそが、わが国をあらゆる不測の事態に対して補償する唯一の道である。」
・・米国務長官フォレスターの言「第三次世界大戦の宣戦布告」
中東欧での領土拡大
ポーランド、ルーマニア、バルティック諸国、カレリア半島、チェコ、東プロシア、
・・人口二千万人増・・千島、樺太)
・・ 1955年頃、米国への挑戦権を持つと誰もが認識される状況となる。
米国は、日本軍の実力を過大評価しており、ソ連参戦への道を開いた。
1945-8初、ソ連軍は鴨緑江迄進出停止(米軍大部隊は在沖縄)
1945-8初、於ワシントン、ソ連軍南下阻止の為の朝鮮分割→38度線の設定
1945-8-12、ソ連南下開始、38度線で停止 1945-9-8、米軍、仁川上陸
1945-2、ソ連政治局でのスターリン批判(米英に友好的過ぎる)
1945-2、ルーマニアに於ける連合国管理委員会の開催をソ連が拒否
・・米英からのヤルタ協定違反指摘
・・以降
・・ポーランド、ルーマニア、バルティック諸国、フィンランドとの国境協定
・・トルコ、ギリシャを除く七国にて人民民主主義政権成立
1946-3、チャーチル「鉄のカーテン」演説、於ミズーリ州フルトン市
「バルティック海シュテッティンからアドリア海トリエステまで、一つの鉄のカーテンがヨーロッパ大陸を横切って下ろされている。これらすべての有名な都市とその周辺の住民達はソ連の勢力圏内に入っている。・・我々に残された時間は少ないかもしれぬ。もう手遅れだということになるまで事態を放任しておくようなやり方だけは、お互いにしないでおこうではないか・・・・ギリシャ、トルコへの援助・・」
・・トルーマン宣言とマーシャルプランへ
1947-4-16、バーナード・バルーク演説(於コロンビア)
「諸君欺かれないようにしよう。今日、我々は"冷戦"のさなかに居るのだから」
1947-9、コミンフォルム成立・・アジアではモンゴル人民共和国の成立
1949-4-4、NATO創設・・ワルシャワ条約機構は1955-5-14調印
1947-11、国連朝鮮委員会・・ソ連の反対、北朝鮮の協力拒否
1948-8、国連朝鮮委員会の監視下選挙、李承晩を大統領に大韓民国成立
・・国連の正統国家は南に成立
1948-9、朝鮮民主主義人民共和国が成立
南は李政府と国会が対立、インフレ悪化、地方暴動頻発
北は順調、南北平和統一にも寧ろ積極的
・・それに呼応し、南でゲリラ活動頻発
南で徹底した反共政策、反政府運動に対する峻烈な弾圧
1948-末、内線勃発の予感・・国連朝鮮委員会の監視始まる
1948-12、ソ連軍撤兵・・北軍十個師団18万人(中核はソ連供与の精鋭戦車師団)
1949-6、米軍撤兵・・南軍八個師団10万人(治安維持主眼、重砲・対戦車火器無し)この時点で、米軍正規兵力135万人、同ソ連軍400万人
1949-9、米ソでソ連の原爆所有声明
1949-10-1、中華人民共和国の成立宣言
1950-2-14、中ソ友好相互援助同盟条約調印(毛沢東ソ連初訪問時、モンゴル人民共和国の承認)
1950-6-25、北朝鮮宣戦布告、北軍38度線を越えて南侵開始
・・国連安保理事会の議決で支援米軍は国連軍となる
1950-7-末、米・韓軍、釜山橋頭堡まで撤退、死守(30km/日の快速進出止まる)
1950-9-15、国連軍仁川上陸・反撃開始・・26日ソウル奪還
1950-10-1、韓国軍38度線突破
1950-10-8、国連軍も突破・・国連の北進容認決議(7日、統一朝鮮を目指す米国主張)
1950-10-末、韓国軍先遣隊鴨緑江に達す
1950-11-24、中国人民義勇軍介入(彭徳懐指揮下の正規軍20万人)
1951-1、中・朝軍ソウル占領
1951-3、国連軍ソウル奪還、38度線に達す
1951-4-11、マッカーサー解任、リッジウェイが国連軍司令官に
1951-4, -5、中・朝軍の大反撃・・いずれも国連軍が押し返した。国連軍は、多少の越境はあっても、それ以上北進せず。
1951-6、ソ連マリク国連代表の停戦提案・・休戦会談始まる・・休戦実現は1953-7

ダグラス・マッカーサーをトップとする連合国最高司令官総指令部(GHQ)の占領支配が始まる。(GHQ成立9月2日)
・・陸軍参謀本部、海軍軍令部廃止(10月15日)
・・陸軍省、海軍省廃止(11月30日)
・・財閥解体等旧体制の徹底的破壊
占領軍(進駐軍)の主役は、米英ソ+中国、派遣された軍隊は、米を中心に英・豪・印
1950-7-8、マッカーサーが書簡(メモ)を吉田茂首相に伝える
「治安維持の為に、75,000人の国家警察予備隊(National Police Reserve)創設と海上保安庁保安官8,000人の増員」を命ずる。
・・当時の占領米軍は第八軍き下の4個師団であったが、これらは朝鮮半島に投入され、国内米軍が激減した。
1950-7-8 pm、吉田首相下で会議が開催され、「警察予備隊」の創設を決定。
ポツダム緊急勅令に基づいて発せられるポツダム政令は、国会の議を経ず、立法手続き不要で法令の制定が出来た。(この辺が自衛隊出生にまつわるスッキリしない点)
1950-8-7、閣議で「警察予備隊令」を決定
1950-8-10、公布施行 隊員募集が国家警察の手で始まる
警察予備隊令:「警察予備隊は、治安維持のための特別の必要がある場合において、『内閣総理大臣』の命を受け行動するものとする」と規定され、当時の国家警察、自治体警察とは、一線が画されていた。
当時の警察制度:「自治体警察」米国流の市・町レベルでの警察機構で、ここに国家警察は介入出来なかった(内務省権限縮小)。「国家地方警察」は自治体警察の存立しない郡部を担当していた。1954年自衛隊法と同時期に現行の警察法に変わっている。
1950-8-23、第一陣が各地警察管区学校に到着・入隊、諸式受領後米軍キャンプ跡地へ移動
1950-10末、最後の採用者が入隊・・募集75,000人に対し応募380,000人(十数次延べ)
初代予備隊本部長官「増原恵吉」(後、防衛庁次長、国会議員)
・・現代の大村益次郎
1951-3-1、陸士・海兵等出身者特別募集開始
1952-8、保安庁設置(吉田首相長官を兼務)・・陸:警備隊、海:保安隊
1954-6、防衛二法公布・・陸・海・空自衛隊スタート
・・錦の御旗の下、各藩連合軍による倒幕戦争
・・陸軍卿、海軍卿の任命、兵部省が設置される。兵は各藩兵の寄せ集め
・・大村益次郎により国民皆兵(徴兵)制度が取り入れられ、徴募が始まる
・・明治憲法発布
・・軍隊は「天皇直率(統帥)」
*軍制 陸軍省、海軍省
*軍令 陸軍参謀本部、海軍軍令部と政治と軍事が分離されたが、陸軍大臣、海軍大臣はそれぞれ陸軍・海軍出身者の指定席
・・帷幄上奏権で天皇に直結し、軍事優先・専横につながっていくことになる
旧軍時代には、「シビリアン・コントロール」の概念がなかった。知らなかった。
言葉としての「シビリアン」に日本が最初に接したのは、憲法原案(米軍)
憲法第66条・・政府の大臣は『文民』でなければならない
文民の言は、貴族院での審議途中挿入された。それまで日本に馴染みのなかった「シビリアン」をどう翻訳するかで相当苦労している。
審議記録によると、「平民」「凡人」「文臣」「文人」「文化人」「民人」等々、いろいろ提言されている。
長官事務部局と部隊中央本部(幕僚部局)が並列の形で大臣(文民)を補佐する構造。
長官事務部局(少数の文官)は、予備隊全体のための政治、予算、総括的政策の決定、実施指令等に責任を持つ
部隊運用本部中央幕僚部(幕僚部局と部隊本部長で構成)は、予備隊の運用・作戦に責任を持つ
長官事務部局と部隊中央本部併せて人員は75,000人。
日本は、軍人だけの組織である陸・海軍省、統帥権独立、しか経験がなく、米国陸軍省の組織を理解出来なかった。即ち、日本古来からの「武官」(ユニフォーム)と対置される「文官」として「シビリアン」が理解され、ユニフォーム(総体総監部、現在:幕僚監部)の上に立つシビリアン(予備隊本部、現在:内局)と整理した。
同時に、戦前、軍人が政治に関与して破綻したとの体験も大きく、「文官統制」として文官の優位を強調したものである。
予備隊本部長官(増原恵吉)の下に、予備隊本部(100人)、その下に、総体総監部(75,000人、総体総監:林敬三)の、合計75,100人の構成である。(マッカーサー提案の75,000人を、そっくり直接部隊の定員とした)
文官だけで構成される予備隊本部が先行して組織作りされ、行動部隊である予備隊はその下に配置された。長官を直接補佐する制服部局は設けられなかった。
又、予備隊トップの総体総監林敬三は、長官増原恵吉と同じく旧内務省官僚であり、旧内務省の警察組織を下敷きに機構を設計することに何の疑念もなかった。
米軍は、文武が並立する中央組織が望ましいと考えており、行動部隊の中央組織として部隊中央本部を設置するよう書簡を送って指導した。この時代は米軍の意向第一であり、武官も本部長官を直接補佐出来るように、予備隊本部、総体総監部の役割分担をルール化した事務分担規定が作成された。何も起こらなかったので、破綻を来たさなかったが、実行動場面があれば、現在以上に混乱したであろうことは予想される。
しかし、日本の設計した組織が米国の言う「軍国主義復活の可能性を無くす」方向とも合致したことは間違いない。(参照:添付「戦前における我が国の政軍関係についての問題点と民主化の評価(米国による)」)
保安庁は、内部部局と第一幕僚監部(保安隊:陸)と第二幕僚監部(警備隊:海)で構成され、形式上文武の両立時代であった。
しかし、保安庁法解釈、内局任用資格(武官の内部部局への任用制限)等にて、内部部局の優越が明示されている。
◇自衛隊の組織・編成の基本や自衛官の定員は法律で定める。
◇自衛隊の任務・行動の内で、自衛隊設置の本来の任務である国土防衛・治安維持に当る場合に、防衛力使用である防衛出動・治安出動に当っては国会の承認を得なければならない。
◇自衛隊の最高指揮官は、行政組織のトップである内閣総理大臣とする。そして、自衛隊の管理権は、総理大臣の指揮を受けて内閣閣僚の一員である防衛庁長官が担当する。
◇防衛二法国会審議にて、参議院にて決議された付託事項(1954年)
「本院は、自衛隊の創設に際し、現行憲法の条章と、我が国の熾烈なる平和愛好精神に照らし、海外『出動』は、これを行わないことを、茲に更めて確認する。右決議する」
・・これを受けての木村防衛庁長官発言
「只今の本院の決議に対しまして、一言、政府の所信を申し上げます。申すまでも無く自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直截並びに間接の侵略に対して我が国を防衛することを任務とするものでありまして、海外『派兵』というような目的は持っていないのです。従いまして、只今の決議の趣旨は、充分これを尊重する所存であります」


◇防衛庁と自衛隊は同じもの
・・防衛庁職員は自衛隊員(大臣、副大臣、防衛施設庁の労務部に所属する一部の職員は自衛隊員に含まれない)
◇自衛隊員は、国家公務員
・・自衛隊法の制限はあるが、裁判は刑法等に準拠し、軍刑法はなく、軍事裁判はない
・・軍隊でない、との論も有る。
◇現在の人事
事務次官 伊藤 康成:1969年入庁、防衛施設庁長官を経て2002-1現職
統合幕僚会議議長 石川 享:防大11期(1967卒)、海上幕僚長、2003-1現職
陸上幕僚長 先崎 一(12期、'02-12)、海上幕僚長 古庄 幸一(13期、'03-1)
航空幕僚長 津曲 義光(13期、'03-3)
自衛隊となった時、米国国防省(統合参謀本部)の組織に学び、統合幕僚部を設置したが、組織の有り様は、予備隊創設時の組織(文民優位)とした。
内部部局(長官官房+5局)
・・防衛官僚(シビリアンの牙城)
・・それぞれの職掌事務(自衛隊の行動、組織、任免等)に関し、下記事項について長官を補佐する。
@各般の方針及び基本的な実施計画の作成について長官の行う各幕僚長に対する指示
A各幕僚長の作成した方針及び基本的な実施計画についての長官の行う承認
B統合幕僚会議の所掌する事項について長官の行う指示又は承認
C各自衛隊に関し長官の行う一般的監督
統合幕僚会議
・・長官に対する補佐機関としての合議体・・
議長と陸・海・空幕僚長で構成されるが、会議自体に権限を与えられない調整機関である。
議事は全員一致で議決されるが、議長は議決権を持たず、意見の相違があった場合、自分の意見を添えて長官に報告する。
議長は幕僚長の経験者が務めるので、ユニフォームの最高位にあるが、代表権の無い取締役会長との理解が適切
・・出動時、各自衛隊への直接指揮・命令権はない・・
指揮・命令は総理大臣、長官の専権であり、これを直接補佐するのは内局。各自衛隊への下達は長官の指示により幕僚長が行う。
統幕議長は、あくまで、長官に対する意見具申、諮問に答えるのみ、しかも隊務全般について統合調整するのではなく、出動時の行動だけ(含、行動に直接関する事項)
・・歴代の統幕議長は陸:海:空=2:1:1・・
先代は空である。2002-12〜2003-3の幕僚長級人事には、アメリカのイラク攻撃を念頭に、米軍を直接支援できる体制作りと言うことで、海上幕僚長を統幕議長へ昇進させた、との噂が有る。
陸・海・空幕僚監部
・・防衛庁長官の「幕僚」としての幕僚監部・・
そのトップ幕僚長はユニフォームであり、陸海空それぞれの自衛隊のトップであるが、幕僚監部の事務を掌理するものの、あくまで自衛隊の隊務に関し最高の専門的助言者として長官を補佐し、それぞれの部隊に対する長官の命令を執行する立場である。
隊員の服務について監督出来るが、部隊運用など直接その自衛隊を指揮監督することは出来ない。幕僚監部の事務は下記である。
@防衛及び警備に関する計画の立案
A教育訓練・行動・編成・配置・情報・経理・調達・補給及び保健衛生並びに職員の人事及び補充の計画
B隊務の能率的運営の調査及び研究
C部隊等の管理及び運営の調整
D長官の定めた方針又は計画の執行
・・旧陸軍の場合、天皇の軍隊として陸軍省と参謀本部に分かれ、それに教育総監部の三長官方式をとっていいたが、現在の陸幕はこの三機関を所掌する形となっている。

法制上日本の制度は万全である。しかし、国会で国防問題が話題として論じられる場は少なく、かつ論じられたとしても「政治に対する軍事的影響力を排除する」との観点からであった。「政治が軍事を適切に用い得る」かどうかが論じられたことはなく、結果として、英米とは異なる国防組織であり、その運営となっている。簡単に日本の特色をまとめる。
@軍隊ではなく警察組織として誕生し、今尚、警察制度の延長線上にある。長官を直接補佐するのは「キャリア役人」
・・軍事専門知識、素養、経験を有する補佐がない
A国の安全・防衛を論じる土壌(学者、マスコミ、国会)が無く、又、日本が有事に遭遇したことが無いが故に、問題が顕在化しなかった。
・・ドイツと異なる点
B政権与党の政治問題化の回避姿勢に直接的に影響され、本来軍隊としての制度を充実させるべき内局が極めて控えめな規定作りに終始した。
・・領空侵犯、海上警備等平時に於ける武器使用が警察官職務執行法に準じる、他、明示さるべき有事の際の武器使用についても曖昧である
Cトップであるべき統合幕僚会議議長の無権限
・・総理大臣に対する補佐職責無し、陸海空各幕僚長に対する優越権無し
D自衛隊指揮官は内閣総理大臣であるが、国会には内閣として責任を持つ。内閣の決議は全員一致で有効となる。果たして、有事に柔軟に対応出来る武力組織であるのか。
E参事官への任用制限
・・明文の禁止指定はないが認められてない。参事官は内局の課長以上の職を一定年限経験したものから選抜される。総理府令では、上級試験に合格した文官及び長官裁量による経験者から課長が選任され、自衛官はノンキャリ組と共に、この長官裁量により登用の可能性は有る。しかし、かって、課長職には「幹部自衛官の経歴の無い者」との資格制限が有り、自衛官が登用された例はない。
・・参事官は定数十名で、内数として、長官官房長及び各局長の6名を含む

参考図書
世界の歴史・・中央公論社
防衛庁・自衛隊・・かや書房
サッチャー回顧録・・日経新聞社
シビリアン・コントロールに関する研究・・(財)デフェンス リサーチ センター
その他、かや書房社長石井和彦氏には種々のご教授を頂いたことを記し、多謝する。
| 区分 | 項目 | 問題とすべき内容 | 民主化 | 現状 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 国 家 イ デ オ ロ ギ ー |
・封建制度 ・大政奉還 ・国家神道 ・武士の論理 ・権威主義 |
・国家への忠誠心 ・天皇主義 ・武士階級の温存 ・天皇の絶対制 ・好戦的掟 ・民族的優越感 ・膨張主義 ・武人に高価値 |
・絶対服従 ・明治憲法 ・軍人の主導 ・神格化 ・無窮の美徳 ・暴力の肯定 ・選民思想 ・海外進出 ・軍人の重用 |
・個の確立 ・昭和憲法 ・旧軍の解体 ・人間宣言 ・霧散 ・戦争の放棄 ・自信喪失 ・武力放棄 ・追放と文民重用 |
△ × × × × × △ × |
| 軍 隊 ・ 軍 人 |
・軍隊 | ・政治的軍隊 | ・世界的使命感
・国家イデオロギーの支配 |
・旧軍の解体
・民主主義の定着 |
×
× |
| ・軍人の概念 | ・理想像 ・力の均衡 ・戦争 |
・指揮官より戦士 ・精神要素に決定的意味 ・信念のテスト場 ・神からの役割 ・戦争自体を目的として賛美 |
・武器・組織重視 ・物質的均衡 ・武力放棄 ・自画自賛的解釈 ・戦争の放棄 |
× × × × × |
|
| ・軍人の精神 | ・軍隊の立場 ・精神教育 |
・国家的イデオロギーで鼓舞された
・個人と国家の一体化 |
・イデオロギーの喪失 ・国家観の喪失 |
× × |
|
| ・規律 | ・最高の武勲
・退却・降伏 ・政治的指向 |
・死ぬこと
・次善策と認めず ・侵略戦争を一貫して支持 |
・任務の完遂
・時と場合による ・戦争を悪とみる |
×
× × |
|
| 軍 部 の 権 力 |
・政軍関係 | ・活動分野 ・天皇への接近 ・陸海大臣 ・予算 |
・軍人は文官領域可、 文官は軍人領域付加 ・独自の外交政策 ・独自の経済政策 ・軍首脳部は制度上可 ・陸海大臣、参謀総長は 直接上奏可 ・内閣の去就を左右 ・否決:自動的に前年度額 |
・領域の明確化 ・外交の一元化 ・政策に関与せず ・規定、機会無し ・機会無し ・軍人の大臣無し ・暫定予算で対処 |
× × × × × × × |
| ・政治的影響力 | ・藩閥 ・主要ポスト占有 ・右翼の支持 ・テロ的方法復帰 |
・薩摩・長州閥 ・首相30人中15人が 将軍・提督 ・愛国的、ファシスト的、軍国主 義的社会から支援恩恵 ・政治指導者の暗殺 |
・人事規定の確立 ・現職では不可、 実績無し ・右翼対応は厳重 ・価値観の多様化 隊員が関与した 事件無し |
× × × × |
注)個の確立、及び膨張主義の評価が低いのは次ぎの理由によるものと推定される。
1)丁度、日本が米国に次ぐGNP大国に成長して行った時期の評価であり、日本人が日本と言う国に自信を持ち始めた時期である。企業戦士の「企業第一」=「日本国第一」と評価された。
2)同じく、エコノミックアニマルと評されるほど輸出ドライブが掛かり、日本経済の海外志向が高揚していたことをもって「膨張主義」との評価である。